宮崎もえのサイト

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もえは
こんな人だよ
宮崎もえの年表 0歳 1994.7.2誕生 心室中隔欠損症だったらしいけど宇治市で元気に育つ。 その後、妹、弟誕生。 小学1年生 二世帯住宅へ引っ越し。それなりに友達も多くすごく調子に乗る。 小学3年生、夏 嫁姑問題により1学年6クラスくらいあった小学校から1クラス20数名の小さな小学校へ転校。この頃から母親は入退院を繰り返す。 転校初日に男子生徒とつかみ合いのケンカをしてしまい学校から浮く。ケンカの理由は忘れたけどスタートから大失敗。 小学4年生 人の上に立ちたい、お金持ちになりたいという傲慢な思いから医者になるという夢ができ中学受験を目指す。 小学5年生 女の子同士の派閥争いに疲れ、学校に行くのをやめる。卒業式も不参加。まったく社会性のない子供となる。 母親の病室でゲームをしながら一日を過ごす日々。毎日自転車で信号無視をし続けて轢かれたらラッキーというゲームをするも無事故で過ごす。昼夜逆転生活だったので夜中の音楽番組を見るのが好きになる。 小学6年生 再放送でやっていたオレンジデイズを見てMr.Childrenを知る。歌番組を見てさらにドはまり。書くことがないとの理由で通知表が白紙だったため公立の中学校を受験できず絶望。父親は神なので私立の中高一貫校に入学させてもらう。 中学1年生 女子同士の派閥争いに敗れる。高校卒業まで名前+さん付けでクラスメイトから呼ばれる青春時代。ひたすらミスチルを聞く日々。 中学2年生 家族とたまたま行った楽器屋さんでクラシックギターを買ってもらいギターをはじめる。YUIの曲を練習し続ける。 中学3年生 自分が弾いているギターがクラシックギターであるということに気付く。ギターに種類があるんだ!と知り、フォークギターを買う。そのままエレキギター、エフェクターも収集する。 母親が病院から逃走。面倒を見てくれていた母方の祖父母も突然いなくなり家事全般を請け負う。キャラ弁を作って妹と弟が喜んでくれるのを見るのが生きがいとなる。 高校1年生 両親の離婚。父方の祖父母と共に生活再開。母方からの情報を鵜呑みにしているため祖父母が敵に見える。勉強を理由に23時過ぎまで帰らず家族とほとんど顔を合わせない生活が始まる。 高校2年生 路上ライブを初めて見て感動する。もっとちゃんと音楽をしたい思いと医者になりたいという思いの中で初めてのオリジナル曲をつくる(I believe myself)。 高校3年生 路上ミュージシャンと知り合い、学校終わりに路上ライブに混ぜてもらうようになる。 クリスマスの夜に三条大橋の上でおまわりさんに怒られる。 浪人生 予備校が終わると一人でも路上ライブを行うようになる。仲間も増えて居場所を見つける。ライブハウスデビュー。夏に家出をして新婚となった母親の家に転がり込むもセンター試験一週間前に荷物と共に追い出され、実家に強制送還。センター試験ではズッコケる。 大学1回生 滋賀県立大学の看護学部に入学。すごく楽しい4年間を送る。ボランティアで宮城県に初めて行く。4年間毎年ボランティアに参加し、ミニライブも開催。日常でもライブ活動を重ねる。母親と二人暮らし開始。不信感もあり、顔を合わさない生活が続く。 大学2回生 天Qにて主催ライブ『もえNight!!』を月1回開催。 大学3回生 喫茶のんにて主催ライブ『宮崎もえの音楽室』を月1回開催。 配信番組『音やステーション』のMCとなる。 大学4回生 泣きながら実習を乗り越える。今となればいい思い出。音楽活動は最低限で続ける。 社会人1年目 社会人となった日に母親が自死。人が亡くなる大変さを身をもって知る。ICU・救急外来へ配属。ここら辺から苦しすぎて記憶喪失。音楽活動は何とか続ける。 社会人3年目 コロナウイルスが流行る。病院からライブハウスに出入りしていることを注意され、音楽活動休止。コロナが爆発し多忙の中、流産を経験。心が折れ、世界がモノクロになる。 社会人4年目 透析室へ異動となる。再び頑張るも色のない世界で頑張る意味を見失う。気が付けば病院のベッドの上パターンを繰り返す。死ぬ勇気もないことを思い知り、死ぬ気で生きてみようと思う。 社会人5年目 一人でリスタートすることを決意。仕事を辞める。路上ライブを再開し、再び多くの人と出会う。 失業保険をもらうために行ったハローワークで職業訓練を知り、次の日に説明会があったWeb&グラフィックデザイナー科の説明を聞きに行く。楽しそうだったので受験し、運よく受かる。難しいと脅されていたコーディングにドはまり。人とかかわることも好きだけど、細かい作業も好きだったことを思い出す。 そして今、Webデザイナーになるべく就活中。最終目標は朝起きた時に『今日は死にたくない』と思える日々を生きること。 『変わりたいと願えばいつだって今を変えられる』
と信じ、何かを変えるために行動し続ける人です。

相棒

愛すべき親友

路上ライブでゲット

fenderのギター
私は人に助けられてばかりの人生を歩んでいます。
このfenderのギターが欲しくて貯金をしていると話していたら一緒に路上ライブを行っていたお兄さんがくださいました。
ありがとう。一生の宝物。

ボーナスでゲット

赤いギター
お金を稼ぐ喜びを教えてくれたギター。
コロナで病棟も救急外来も大変で疲れ果てているときに出会ったギター。
人生で今のところ最初で最後の衝動買い。

2022年、夏。2本のギターと1つのキャリーケースを引き連れて、新しいお家に引っ越してきました。

歌をつくる理由

song
a
sing

苦しくてもいつか終わる、この苦しみは、いつでも終わらせられる。
だからもう少し生きていられるのなら、生きてみよう。
今日の涙は明日の笑顔へとつながる。
そんなことを自分に言い聞かせ続けるため、今日も涙を流しながら、笑顔を見せながら、歌をつくります。

最後まで見てくれてありがとうございます。
あなたとご縁があることを願っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

宮崎もえ

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宮崎 もえさんの投稿 2022年12月24日土曜日
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